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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)1776号 判決

原告

須藤光久

被告

滝本保

ほか一名

主文

被告滝本は原告に対し二八一万三三三三円及びこれに対する昭和六二年四月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告滝本に対するその余の請求及び被告住友海上火災保険株式会社に対する請求を棄却する。訴訟費用は、原告と被告滝本との間に生じた分は、これを一〇分し、その一を原告の、その余を同被告の負担とし、原告と被告住友海上火災保険株式会社との間に生じた分は全部原告の負担とする。この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

1  被告滝本は原告に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年四月一一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告住友海上火災保険株式会社は原告に対し、九七〇万円及びこれに対する右同日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被告ら(各自)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五九年二月一四日午後一〇時〇五分頃

(二) 場所 千葉県野田市中里五〇六番地先路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通乗用自動車(千葉五七む九五一〇号)

運転者兼保有者 被告滝本

(四) 被害車 軽貨物自動車(習志野四〇う六六〇二号)

運転者兼所有者 原告

(五) 態様 被告滝本は酒に酔つた状態で加害車を運転して本件事故現場の道路を野田市蕃昌方面から中里交差点方向に向かつて進行中、折から対向車線を中里交差点方面から野田市蕃昌方向に向かつて進行してきた被害車の直前で対向車線に進入し、加害車の左前部を被害車の右前部に衝突させ、原告に対し頸椎捻挫、脳挫傷、腰椎捻挫等の傷害(以下「本件傷害」という。)を負わせた(以下「本件事故」という。)。

2(一)  被告滝本の責任

被告滝本は、加害車の保有者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、原告が本件事故によつて被つた人身損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被告住友海上火災保険株式会社(以下「被告会社」という。)の責任

被告滝本は被告会社と、昭和五七年一〇月一五日、加害車を保険対象車とし、保険期間を同月一八日から昭和五九年一〇月一八日までとする自動車損害賠償責任保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

したがつて、被告会社は原告に対し、自賠法一六条第一項に基づき、本件事故により原告が被つた損害の額につき保険金額の限度において支払うべき義務がある。

3  原告の損害

(一) 原告は、本件事故により被つた本件傷害につき埼玉筑波病院において治療を受けたが、昭和五九年一二月一日中枢性視野障害、左上下肢のしびれ・脱力感、腰部脱力感、項部痛、陰萎、腰痛等の障害を残して固定するに至つた(以下右障害を「本件後遺障害」という。)。本件後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令別表(以下「自賠責後遺障害等級表」という。)の五級一号「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(本件事故当時のもの、以下同じ。)に該当する。

(二) 原告は、本件事故により、次の損害を被つた。

(1) 逸失利益 六二二四万九一六二円

収入額(月額) 三八万一三〇〇円(後遺障害固定時満三九歳・昭和五六年賃金センサスを基準とした年齢別平均給与額)

労働能力喪失率 一〇〇分の七九(自賠責後遺障害等級表五級による。)

労働能力喪失期間 二八年(対応する新ホフマン係数―一七・二二一)

逸失利益の計算式 381,300円×12月×0.79×17.221=62,249,162円

(2) 後遺障害慰藉料 九四五万円

(3) 傷害慰藉料 八九万円

原告の入院期間は昭和五九年二月二〇日から同年四月二一日までの六二日間、本件後遺障害固定日の同年一二月一日までの通院期間は同年四月二二日から同年一一月三〇日までの約七か月間(実治療日数は一二七日)であるから、傷害慰藉料は八九万円が相当である。

(4) 休業損害(症状固定日まで)三六二万五四七五円

(計算式)

381,300円×12か月÷366日×290日(2月15日~11月31日)=3,625,475円

(5) 右(1)乃至(4)の各損害の合計額は七六二一万四六三七円となるが、原告は、被告滝本から慰藉料として一三〇万円、休業損害として六〇万円の支払を受け、また、被告会社から後遺障害について二〇九万円及び傷害について四〇万〇八八四円の支払を受けた。

(6) 弁護士費用 七一九万二三七五円

原告は、前記損害額から右弁済額を差し引いた残額七一九二万三七五三円の一割を弁護士費用として請求する。

4  よつて、原告は、(一)被告滝本に対し、以上の損害合計七九一一万六一二八円のうち三〇〇〇万円とこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の翌日である昭和六二年四月一一日から支払済みまで民法所定年五分の遅延損害金の、(二)被告会社に対し、自賠責後遺障害等級表五級の後遺障害についての自賠責保険金額一一七九万円から既に支払を受けた一二級についての保険金額二〇九万円を控除した残額である九七〇万円とこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の翌日である右同日から、支払済みまで民法所定年五分の遅延損害金の支払を求める。

二  答弁

1  被告滝本

請求原因1(一)ないし(四)の事実は認めるが、同(五)の事実は争う。同2(一)のうち被告滝本が加害車の保有者であることは認めるが、その余は争う。同3のうち(五)の事実は認めるが、その余の事実は不知。

2  被告会社

請求原因1及び2(一)の各事実は不知。同2(二)の事実は認めるが、被告会社が原告に対し、自賠法一六条により損害賠償額の支払義務のあることは争う。同3のうち(五)の事実は認めるが、その余の事実は不知。なお、被告会社が原告に対して支払つた傷害による損害賠償額は合計一二〇万円である。

三  被告滝本の抗弁

1  原告と被告滝本とは、昭和五九年五月二九日次のような内容で示談する旨の合意(以下「本件示談」という。)をした。(一)被告滝本は原告に対し、(1)本件事故に基づく治療費の全部を支払う、(2)本件事故に基づく原告の傷害が治癒するまでの間月額二〇万円の割合の休業補償費を支払う、(3)本件事故による原告所有の被害車についての損害五七万五〇〇〇円を支払う、(4)本件事故についての慰藉料として二五〇万円を支払う、但し、内金として一三〇万円を示談成立時に支払い、残金を四年年賦(但し年二回)にて各一五万円を支払う、(二)原告は、後遺症があるときは法に従つた金額で自賠責保険の請求をすることとし、被告滝本は何ら異議を申し立てない。

2  被告滝本は、原告が治療を受けた埼玉筑波病院に治療費全額の支払をし、原告に対し、休業補償費として三か月分六〇万円、原告の被害車の損害の賠償として五七万五〇〇〇円、慰藉料一三〇万円の支払をした。

四  抗弁に対する原告の認否

被告滝本の抗弁2事実は認める。

五  再抗弁

1  原告は、本件事故直後から再三、被告滝本より早く示談を成立させて欲しい旨の申入を受けていたが、後遺症の程度も分からない間は示談できないとの返事を繰り返していた。

2  ところで、原告は、本件事故の一週間後から約二か月間入院するなど、事故後は全く就業不能な状態に陥り、日々の生活にも事欠くようになつたため、被告滝本に対し取り敢えず毎月二〇万円ずつの休業補償を求め、本件示談までの間、同被告から二〇万円ずつ三回合計六〇万円の休業補償の支払を受けていた。

3  ところが、被告滝本は、その支払の都度「早く示談をしてくれ、さもないと今後の休業補償の支払はしない、自分は馘になつても構わない。」などと原告に示談を強要したり、「自分は野田市に顔が効くので、示談をしてくれたら必ず生活保護が受けられるようにしてやる」などの甘言を用いたりしていた。原告は、法律的な知識がなく、また、前述のような窮状にあつたため、同被告からの休業補償を止められたら以後の生活が成り立たなくなつてしまうとの畏怖を感じ、そのうえ事前に生活保護の件で野田市に問い合わせたところ「事故の相手からの支払が期待できる間は生活保護は受けられない、示談が成立したらその内容次第では生活保護が受けられるかも知れない。」との示唆を受けていたため、やむを得ず、当面の生活を維持していくためには示談をする以外にないと考え、本件示談をするに至つたものである。

4  また、本件当時、原告の本件傷害は未だ治癒しておらず、原告は、現在のような重篤な後遺障害が残ることは予想していなかつた。

5  以上のように、本件示談は、原告の無知と窮状に乗じてされたものであるから、公序良俗に反するものとして無効であり、また、原告の本件示談の意思表示は、現状のような重篤な後遺障害が残るとは考えずにしたものであるから、要素の錯誤があり、無効である。

六  再抗弁に対する被告滝本の認否

再抗弁1の事実のうち、被告滝本が原告に対し、本件事故直後から再三示談の申入をしていたことは認めるが、その余の事実は否認する。同2の事実のうち被告滝本が原告に対し休業補償として月額二〇万円を三回合計六〇万円支払つたことは認めるが、その余の事実は不知。同3の事実のうち前段の事実は否認する、後段の事実は不知。同4の事実は否認する。

第三  証拠関係は、本件記録の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一1  請求原因1(一)ないし(四)の事実は、原告と被告滝本との間においては争いがなく、原告と被告会社との間においては、右両者間において成立に争いがない甲第一号証並びに原告と被告らとの間においていずれも原本の存在及び成立について争いがない甲第六ないし第九号証によつて認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

また、右甲第六ないし第九号証、原告と被告会社との間においては成立に争いがなく、原告と被告滝本との間においては弁論の全趣旨により成立を認めることができる甲第二号証、原本の存在及び成立について当事者間に争いがない乙ロ第一号証並びに原告及び被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、請求原因1(五)の事実を認めることができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

右に認定したところによれば、被告滝本は、自賠法三条に基づき、本件事故によつて原告が被つた人身損害の賠償をすべき責任があるものというべきである。

2  請求原因2(二)の事実は、原告と被告会社との間において争いがない。

二  原告は、本件傷害の治療を受けたが、自賠責後遺障害等級表五級一号に該当する後遺障害(中枢性視野障害、左上下肢のしびれ・脱力感、腰部脱力感、項部痛、陰萎腰痛等)が残つた旨主張し、これを前提として、自賠法一六条に基づき、被告会社に対し、右後遺障害についての自賠責保険金額(本件事故当時のもの)一一七九万円から既に受領した一二級の後遺障害についての保険金額二〇九万円を控除した九七〇万円の損害賠償額の支払を求めており、原告本人尋問において陰萎の点は回復したが、視野障害、左上下肢のしびれ・脱力感、腰部脱力感、項部痛、腰痛の自覚症状がなお残つている旨述べているが、視野障害以外の自覚症状については他覚的所見ないしは右自覚症状を裏付けるに足りる客観的証拠がないから、右本人尋問の結果のみによつて原告に視野障害以外にも自覚症状どおりの後遺障害が残つており、これが自賠責後遺障害等級表五級一号に該当するものと認めることはできない(原告の視野障害以外の自覚症が仮りにあるとしても、本件事故と相当因果関係があるとはいえない心因性のものであるとの疑いが強い。)。そして、前掲甲第二号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立を認めることができる乙ロ第二号証によると、原告には本件事故による後遺障害として視野障害が残つていることが認められ、これは右等級表一二級第一号に該当するものと認められる。

したがつて、原告の被告会社に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものというべきである。

三1  被告滝本の抗弁1の事実は原告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做す。同2の事実は、当事者間に争いがない。そして、右事実によると、本件示談は、原告と被告滝本とが本件事故によつて原告が被つた損害の額を確定するとともにその支払方法を定めた合意であると解するのが相当である。

2  そこで、原告の再抗弁について判断する。

(一)  被告滝本が原告に対し、本件事故の直後から再三にわたり示談の申入をしていたことは当事者間に争いがなく、原告と被告滝本との間において成立に争いがない乙イ第一ないし第三号証、原告及び被告各本人尋問の結果を総合すると、原告も被告滝本に対し、昭和五九年三月下旬から三回にわたり内容証明郵便で、治療費、休業損害等の支払を求め、同年五月二一日付の内容証明郵便では、被害車の損害五七万五〇〇〇円、病院の治療費全額、慰藉料二五〇万円(頭金一三〇万円、残り一二〇万円は年二回払い、一五万円ずつ八回払うこと)、後遺症が固定したときには、法に従つた金額全額、休業補償は原告が職務復帰するまで一月二〇万円の割合で毎月末日限り支払うべきことを求めており、本件示談は、原告が後遺障害に関する損害の賠償を請求する相手方を自賠責保険会社としたほかは、原告の右内容証明による要求を被告滝本が受け容れることによつて成立したものであること、本件示談は原告の自宅においてされたものであるうえ、本件示談を記載した書面(乙イ第一号証)は本件示談の原告側の立会人であつた原告の隣人である訴外石井俊雄がその内容を記載したものであること等の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

もつとも原告本人尋問の結果によると、原告は、本件示談当時本件傷害のため働くことができない状態にあり、被告滝本から休業補償が得られなくなると生活に窮する状態にあつたことを認めることができるが、前記認定の本件示談までの経緯等の事実に照らすと、本件示談が被告滝本において原告の窮状に乗じてしたものであるとは致底認めることはできない。

したがつて、本件示談が民法九〇条に違反する無効なものである旨の原告の再抗弁は理由がない。

(二)  本件事故によつて生じた原告の後遺障害は、前認定のように、自賠責後遺障害等級表一二級一号に該当する程度を超えるものではなく、本件示談当時に原告の予想を超えていたものとは認め難い。

したがつて、原告の本件示談の意思表示は要素に錯誤がある無効なものである旨の原告の再抗弁も理由がなく、原告の被告滝本に対する請求が本件示談当時予想しえない損害についてのものであり、本件示談が有効に成立したとしてもこれにより妨げられることなく請求しうる損害についてのものであると解しても、理由がないものというべきである。

四  ところで、原告の被告滝本に対する請求は、原告が既に全額の支払を受けた治療費及び被害車についての損害を除いた(一)休業補償、(二)慰藉料及び(三)後遺障害についての損害の賠償を請求するものであるところ、本件示談によると、右(一)の休業補償費は、本件事故の日の翌日である昭和五九年二月一五日から後遺障害の固定した同年一二月一日まで(九か月と一六日)一か月二〇万円の割合として算定すべきものであるから、一九一万三三三三円となり、右(二)の慰藉料は二五〇万円であり、右(三)の後遺障害による損害については、原告が自賠責保険金額二〇九万円を自賠責保険会社に請求するものとし、被告滝本には請求しないとしているものと解されるから、同被告に対して請求することができないものというべきである。

そして、原告が被告滝本から、休業補償として六〇万円、慰藉料として一三〇万円の支払を受けたことは、当事者間に争いがないから、原告が被告滝本に対して支払を求めうる損害賠償額は、休業補償費の残額一三一万三三三三円及び慰藉料残額一二〇万円の合計二五一万三三三三円というべきである。

五  弁論の全趣旨によれば、原告が被告滝本に対する本訴の提起・追行を原告ら訴訟代理人弁護士に委任し、手数料及び報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の内容・難易、請求額、認容額等本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、本件事故と相当因果関係のある損害として被告滝本において賠償すべき弁護士費用の額は、三〇万円と認めるのが相当である。

六  以上認定したところによれば、(一) 原告の被告会社に対する請求は、理由がないから、棄却することとするが、(二) 原告の被告滝本に対する請求は、二八一万三三三三円及びこれに対する本件事故の日の後である昭和六二年四月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金(なお、本件示談において、原告が右遅延損害金請求権を放棄したとは認め難いし、また、慰藉料一二〇万円についての年賦払の約定は、弁済期を定めたものではなく履行の猶予の定めにすぎないものと解されるから、遅延損害金の発生及びその請求を妨げるものではない。)の支払を求める限度において正当として認容し、その余は失当として棄却することとする。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柴田保幸)

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